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2008年、今年の母の日はちょうど100周年。アメリカ・ウェストヴァージニア州で、アンナ・ジャービスさんという女性が亡き母を追悼するため、 1908年5月10日にフィラデルフィアの教会で赤いカーネーションを配ったのが『母の日』の始まりだと言われています。
母の日100周年を記念して、真っ赤なカーネーション100本のスペシャルな花束をご用意しました。 たくさんの感謝の気持ちを大きな大きなブーケに込めて、お母さんにプレミアムな「ありがとう」を贈ってみてはいかがですか?


今年母の日100周年の記念イベントを行うアンナジャービス生誕の地ミュージアム(生家記念館)から母の日コムへメッセージが届きました。
It is said that nothing is stronger than a mother’s love.
母の愛より強いものはない、と言われています。
しかしアンナ・ジャービスにとって、それは1908年の母の日創設へ導く、娘の愛着であり、献身でした。
ウエストバージニアの町、グラフトンで創設 - そして今年100年目の記念日を祝う-この祭日は、アンナの亡き母、アンナ・マリア・ジャービスから起想されました。
11人の母、アンナ・マリアは周囲の人の中でも、活発な人でした。
彼女は女性運動クラブを組織する、信頼の厚い人でした。その組織は、ウェブスター(注:地名)の隣接地で、正しい公衆衛生の勉強会で若い母親を教育し、子供の死亡率の低下に貢献するものでした。
アンナ・マリアの指導のもとで、クラブの女性達は、敵味方に関係なく内戦の戦士の病気を看護し、内戦後の扮装でも疲れを感じさせない献身活動を行いました。
このような調和を創ろうと努力した、ひとつの語り継がれる話しは(プランティタウンで制定された『母の友情の日』)、敵味方双方の涙さそうものとなりました。
彼らの家族と周りの人たちをいたわる、女性のきびしいつとめを記念する日がなくてはいけない、と母が話すことを、アンナはしばしば聞いてきました。
そうして、1905年の母の死後、彼女はその夢を実現するために乗り出しました。
3年のうちに、アンナは彼女のゴール地点 - 祝日を制定する市の決議を得て、彼女の母が達成したすばらしい業績を祝う、記念事業を行うこと - に到達しました。
3年後この世論は、グラフトン(注:地名)にあるアンドリュー・メソジスト・監督教会の正式な母の日の礼拝となる契機をむかえ、また毎年5月第二日曜日を祝日に制定する宣言となりました。
アンナの努力は、瞬く間に全国規模に広がりました。
1909年までに、45州が祝日として採択し、その1年以内に、ウエストバージニア州知事・ウイリアム・E・グラスコックが最初の母の日の公布を宣言しました。1914年、議会は母の日を創ろうというアンナの提案を議決しました。今年の100年記念では、この日を、母の日の起源となった街を訪ねる貴重な機会にします。
現在のグラフトンへの訪問者は、最初の母の日の礼拝の地、アンドリュー・メソジスト・監督教会を見て回ることができます。
1873年に建立、この美しい教会は現在、国際的な聖堂であるうえに、来訪に値する魅力的なミュージアムを併設しています。
よく手入れされた家は、連邦陸軍によって徴用された家屋から受け継ぐ、当時の内戦の遺品を含む、1世紀前の家庭のアイテムや衣装を今もなお展示しています
祝日の100周年祝賀会を開くために、年をかけた特別なイベントが企画されています
Anna Jarvis Birthplace Museum, 304.265-5549,
http://www.annajarvishouse.com/
International Mother’s Day Shrine, 304.265.1589,
http://www.mothersdayshrine.com/
アンナ・ジャービス
マリア・ジャービス
アンドリュー・メソジスト・監督教会
教会の聖堂